Mirai Career Labo

未来志向のキャリアデザイン

キャリコンになったのは・・(2)子育てと仕事

(2)子育てと仕事 

 米国・ニューヨークに到着したのは雪ばかり降る寒い1月でした。時差があるので昼間についても息子はぐっすり寝ていて、寒いので着ぶくれしている息子を横に抱いて、雪に足を取られながらアッパーウェストのアパートまで行ったのを覚えています。

 米国では初めての子育てにかかりっきりでした。主人の帰宅は毎日遅く、赤ちゃんと二人きりの生活は辛く、カプセル育児で本当におかしくなりそうでした。その頃の日本の子育ては、母親が離乳食を手作りするのが当たり前という感覚でした。しかし米国にいると手作りしようにも使いやすい食材が無かったり、薄切り肉さえ手に入らないなど(厚切りがあるんですけどね)で、とても面くらいました。「手作りするものだ」という思い込みが強すぎて、手作りが難しい現状に結構とまどってしまったのです。米国では瓶詰めの離乳食を買って与えたりするのがごく当たり前でしたし、それでも良かったのに、日本は子育てに求めるものが多すぎたと思います。

 2年経って帰国し、ハローワークで仕事を探そうとしましたが「子供を連れてきてはダメ」と言われました。「子連れでは就職先は無い」ということでした。それで単発で預かってくれる保育所を見つけて、親離れできていない息子を預け、なんとか就職しましたが、息子が保育園に行くのを嫌がり、結局仕事を辞めてしまいました。

 そのうちに二人目を授かり出産しました。二人目は女の子。やっぱり男の子よりもどこか大人しいんですね。私も育児に慣れてきて、娘の10か月の頃には時間に余裕もできて、赤ちゃんがいるというのに「何か仕事ができないか?」と考えました。

 そこで国語力を活かして、学校の国語の授業中に生徒が書かせられる小論文を、在宅で添削をする仕事を得ました。1クラス分、40名程度の、800字や1200字などの小論文を赤ペンで直し、コメントを書くという仕事で、納期は2週間です。余裕があれば数クラス分担当することもできます。1名分が300円~400円。稼ぎはとても少ないです。子育てしながらの在宅の仕事は大変でした。昼間はほとんど子供の世話をしますので、たいていは夜になってから行いました。小論文を汚してはいけないので、テーブルは綺麗に片付けでから行いますが、子供が散らかした部屋を掃除するまでは手が回らず、家の中が荒れてしまっていました。寝不足で体調を崩したりもしましたが、それでも4年ほど続けられたのは、それしか仕事が無かったからです。

 下の子が幼稚園年中さんになったことを期に、外で働きたいと思いました。在宅の仕事が大変だったし、外で働く方が給与もよかったからです。平日は子供の送り迎えもありなかなか難しかったので、土日にパートに出ることにしました。信販会社での、クレジットカードを作った時の本人確認の電話をする仕事です。土日で勤務時間も長めなせいか、時給は少し高めでした。後半は平日にも少し入れてもらいながら、4年くらい続けました。

 しかし、電話をし続ける仕事で喉を傷め声が変になったこともあり、また子供達が少し大きくなって平日も働けるようになったので、近所の私立学校の施設管理の仕事に就きました。朝が早めな分、夕方4時過ぎまででしたので、その後子供と公園に行くこともできました。先生方のお茶やお弁当の手配をしたり、お掃除をする仕事。大変ではなく、それなりに楽しくやっていました。清掃関係の仕事は事務などに比べると給与はとても安いです。半分くらい。職員室によく出入りしていましたので、外国人の英語の先生と英語で話す機会もありました。そうしていると以前英語を使って働いていたことを思い出し、もう一度英語を使った仕事に就きたいと思うようになりました。そして子供もようやく手が離れてきたということもあり、以前勤めていたプラントエンジニアリング会社に派遣で再就職しました。

仲良し