Mirai Career Labo

未来志向のキャリアデザイン

キャリコンになったのは・・(1)初めての仕事

 2019年に国家資格キャリアコンサルタントを取りました。キャリアコンサルタントという資格の存在を知ったのは、娘の就職活動の頃です。

 女性が仕事を続けることがなかなか難しかった時代に、仕事が大好きだったのでライフイベントに合わせながら仕事を変えつつ働いてきました。「そのような経験がある私なら、弱い立場の人に寄り添って就労支援ができるかも」、「仕事は人を成長させてくれるものだし、楽しいことでもあるのに仕事に就けないでいる人があるのは残念。そのような方々の支援がしたい」と考えてこの資格を取りました。

 ではどのような仕事をしてきたのか?ということで、私のこれまでの仕事人生につい書いてみようと思います。長いので3回に分けますね。

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(1)初めての仕事 

初めて「仕事」をしたのは、大学生時代のアルバイトです。働くことが楽しくて、いろいろやってみました。単発の仕事で銀行や企業の書類整理や雑用、執筆者の原稿を出版社に運ぶ運び屋(書道の本で写真が多く重かった!)、ジェトロのイベントのキャンペーン・ガール、図書館の本の修理、一か月住み込んでのレタス農家の手伝い、半年続けた歯科助手・・。そうそう、家庭教師もやってみましたが、自分が得意な国語を、帰国子女の国語感覚無しな子に教えるのはとても難しかったです。でもとにかく、仕事をすること自体は好きになりました。特に農業仕事など身体を動かす仕事とか、人と接する仕事が案外好きです。仕事好きの素地はこの時期にできたと思います。

 大学4年になって就職について考える時期になりましたが、大学の就職相談窓口は資料が置いてある所という印象で、どのように利用すればいいかもよくわかりませんでした。親はその頃の一般的な考えで「女性はしばらく就職して、結婚相手を見つけて家に入るのが良い」としか考えず、自分もそんなものなのだろうと思っていました。

 大学の教授に受験するか打診された大手家電メーカーがありました。その頃はまだパソコンなど世の中に広まっていず、やっとワープロが普及し始めていました。国文科の中で国語学を専攻していたこともあり、初めて電子辞書を作るというような仕事でした。今考えればとても面白そうですから、もっと意欲的に立ち向かえばよかったのに、パソコンとかワープロとかに一日中向き合って仕事をするということがうまく想像できず「人と接することの方が向いてるかな」と自分では思っていたので、親が持ってきた就職先もあったので、その家電メーカーは断ってしまったのです。勿体なかった~!

 ということで、親と同じ業種の大手プラントエンジニアリング会社に就職。 女性は総合職にはなれず、「一般職」という名前で事務とか庶務をします。 庶務とはお茶くみとか、机拭きなども含まれます。 ただ、私の場合は配属先がたまたま、女性も男性と同じスペアーパーツのバイヤーの仕事をするという部署でした。 後から考えれば、給与単価の安い女性を戦力にして、将来的にその部署を独立採算制にするという会社の考えがあったのですが、当時の女性にとって事務や庶務以外の仕事ができるのは、待遇が不平等だったとしても有難いことでした。 世の中も、雇用機会均等法ができ、社会党委員長に土井さんがなるなど、女性を登用しようという風「マドンナ旋風」が吹いた時でもありました。

 仕事は貿易系の事務で、顧客は海外ばかり。 英語は得意なわけではありませんでしたが、海外から送られてくるTelexを読み、返信を書いては先輩にチェックしてもらい、というのを毎日行い、上司宛にかかってくる電話になんとか応答しているうちに、英語力も多少はアップしていきました。 そんな私を上司は面白がり、海外出張に行けるように取り計らってくださったのです。 女性が海外出張に一人で行くのは会社としても前代未聞の出来事。 会社中から何人も知らない方がやってきて心配してくださり「何かあったらここに連絡しろ」と助言してくださいました。

 出張といっても日々Fax(Telexの時代はすぐ終わり、Faxがメインになりました)でやりとりしている内容を話しに行くだけで、交渉する金額も小さな案件ばかりで、顧客もせっかく日本から若い女性が来たということでお情けで注文してくださるなど、今から思えばゆるすぎる出張ですが、なんとか一人海外出張を敢行し、 それから数年の間に10回くらい行かせてもらいました。 そのように私なりに仕事には立ち向かっていたので、仕事がとても面白く「続けたい、できれば総合職になりたい」と思ったりしていました。 その頃は他部署でも、女性社員の中には「総合職になりたい」と願う人が出てきていました。

 そんな中私は主人と結婚し、1年後には子供を授かりました。 子供ができてもなんとか仕事を続けようと決心していたのですが、生まれる1ヶ月前、ちょうど今の天皇と皇后のご成婚の頃です、主人から「米国に赴任することになったので、どうしても家族帯同で行ってほしい」と懇願されました。 仕事を続けられないのはとても悲しかったのですが、仕方なくそれまでのキャリアを継続することは諦めることにしました。

子育て