Mirai Career Labo

未来志向のキャリアデザイン

外国人労働者にとって魅力的な国になるヒント

 お昼にドトールコーヒーの全粒粉サンド 大豆ミートを食べてみました。肉ではなく大豆で作られたものだそうですが、豆らしさは全く無く、軽い食感でなかなか美味しい。全粒粉のパンがホカホカと温かく、牛蒡、人参、レタスが入ってヘルシー。お肉の油っぽさがありません。

 ドトールは、食文化の多様化を受け、食の選択肢の一つとしてベジバーガーを開発したそうです。わずか20店舗の導入で特別なアピールもしなかったのに、問い合わせの件数が多かったとのこと。はじめは味を優先して、動物性由来の食材も使用していたが、すべて植物性由来にして欲しいという多くのお客様からの声を受け、すべての食材を「植物性由来」の原料を使用したものに変更。そして味や食感に工夫したとのことです。(202094 PR TIMESより抜粋)
食の嗜好や宗教だけでなく、家畜による環境への影響や食糧需給問題もあり、最近では大豆ミートのような代替肉が注目されています。

 日本は新型コロナ感染症に収まりが見え、日常が戻り、円安のお陰もあって本格的に外国人の来日が増えるのか?との期待に水を差すように、またコロナ罹患者がまたジワジワと増えてきました。

外国人労働者の入国が難しくなると、人手不足が深刻な業界は益々厳しい状況になってしまいますね。感染拡大があまり大きくならないように祈るばかりです。

 

 

 ところで、今や先進国はどこも人手不足で悩んでいて、優秀な外国人労働者は世界中で取り合いです。日本が人材を確保し経済を立て直していくには、外国人労働者にとって魅力的な国になることが急がれます。日本が外国人労働者にとって魅力的な国になるには、やはり外国人の考え方や文化を理解することが必要だと思います。

 

 

 日本にはおいしいものが沢山あり、それは世界の人々にとっても魅力的でしょう。しかし、最近は宗教だけでなく健康や環境への配慮、食糧需給のひっ迫などの社会問題の側面からも、これまでの食事を見直し、ベジタリアンヴィーガンなどに転向する方々が世界にも、日本にも増えています。そのような方々にとっては、食は「美味しい」ことだけが魅力ではなく、自分の信条に合った物であって欲しいと思うでしょう。

 

 

 以前勤めていた会社で、あるプロジェクトに新しい外国人技術者が加わったので昼食時に歓迎会を開いたそうです。幹事をした方は、その外国人技術者はベジタリアンだと聞いていたので、その方には野菜メニュー、他の人達は肉料理を注文しました。ところがその外国人技術が途中で店を出て行ってしまったそうです。その方がどうして出て行ってしまったのか、本当の理由はわかりません。ただ、例えばムスリムの方の中には、厳しく戒律を守り、豚肉を扱うレストランでは食事をしない、豚肉を食べる人と同席しないという厳しく戒律を守っている方もいらっしゃるそうです。

 

 

 日本人の多くは宗教に割と無頓着で、そのような厳しい掟を守ることを理解できないと感じるかもしれません。でも私たち日本人は元々修行として「精進料理」を食べる仏教を知っていますし、身体に良いものを取ることを主とする「薬膳」も知っています。また、清潔さを重要視する国民性から、コロナ禍では電車などの密閉空間にマスクをしていない人がいると何となく不安な気持ちになったり、あるいはその事を厳しく指摘する「マスク警察」まで出てきました。そう考えると、日本人も同じような側面を持っているのかもしれません。厳しく戒律を守るムスリムの方が豚肉を食べる人と同席するのを嫌がるのは、もしかすると「マスク警察」のような感覚かもしれませんね。そのように考えると、他国の人の行動が「理解できない」ものでは無いとわかるし、グッと親近感が湧きませんか?皆何かにこだわったりする、それが人間で、そこがまた面白い所なのではないですかね。

ドトールの全粒粉サンド 大豆ミート

 

 

 

 

 

キャリコンになったのは・・(3)今後の活動

 (3)今後の活動

 15年ぶりくらいに戻った会社は様子が全く変わっていました。以前は部署に数台ワープロがあるくらいでしたが、今度は一人一台ずつパソコンがあります。多少勉強はしていたものの、仕事でパソコンを使用するのは初めてでしたので、メールの送受信などから、基本を沢山教えていただきました。派遣で戻った当初は国内プロジェクトの仕事でした。

 派遣で2年経った時、たまたま会社で派遣社員向けに正社員登用試験を行うことになりました。派遣で働く人は非常に多かったのですが、全員がこの試験を受けた訳ではなく、社員になりたいと思う人のみが受けました。やはり派遣のままが良いと考える人も結構多かったです。自分は正社員だった経験から、正社員の方が働きやすいし、ボーナスもあるなど条件が絶対に良いので試験を受けました。受験者は正確にはわかりませんが、ザっと見たところ100人近くいたと思います。試験は英語、数学、小論文と面接。新卒時にはそんなガッツリした試験は無かったので、初めての厳しい就職試験でした。受かったのは9人。私は以前勤めていたのでたぶんかなりラッキーだったのだと思います。面接官に知り合いもいました。総合職ではなく専任職という事務専門ではありますが、正社員にしてくださいました。

 ちょうど国内のプロジェクトが終わるところで、正社員になれなければ首かもしれないという状況でしたが、正社員に滑り込めましたので今度は海外プロジェクトを希望しました。プロジェクトのアドミという立場で、初めての仕事でしたので、またまたわからないことだらけでした。なんとか教えていただきながら10年間、ちょうどプロジェクトの完全終了まで携わることができました。そのプロジェクトの最後の頃から兼任で、危機管理部という部署に異動になりました。中東、東南アジア、アフリカなど、危険な場所へ渡航する社員が多い会社でしたので、テロ対策がメインの職場です。情報を取ってきて社内に発信したり、研修を行ったりします。そのような仕事は初めてで、また勉強することが沢山ありましたが、案外水に合ってたみたいで、楽しく携わりました。ここでWebを使った情報発信や研修資料の作り方、講義の仕方などを試行錯誤しながら学ぶことができました。

 少し前から体調が悪いことがありましたが、危機管理部で研修を開催するたびに体調が悪化して熱を出す、倒れるということが続きました。研修開催は好きでしたが、その準備などに結構ストレスが溜まっていたのかもしれません。そして母が倒れるということも続きました。仕事上でも不本意なことがありました。

 ちょうどその頃、娘が就職活動を始める年ごろになり、一緒に新聞を見ていた時にキャリアコンサルタントの記事を見つけました。その資格、取ってみようかな~と思い、その翌月から半年間土曜日に講座に通い、人生の今までで一番勉強して、なんとか合格することができました。

 キャリコン資格を活かして転職しようと考えましたが、もう50代。初めての仕事への挑戦でなかなか転職はうまくいきませんでしたが、なんとか港区役所の職員研修をする業者のスタッフになれました。パソコンの細かい作業が身体にきつかったものの、職員の方々には喜んでいただけることも多く、やりがいも感じて勤務していましたが、残念ながら、1年経過した時にコロナ禍でその仕事が無くなると告げられました。コロナ対策や補助金の為、区役所の予算が逼迫したためです。

 コロナが蔓延し、父など家族から東京へ行くことについてとても心配されましたし、自分も「もうパソコン事務系はやめようかな」と思ったこともあって、近所のマンション管理人の仕事に再就職しました。管理人の仕事も結構合ってると思います。住人の皆さんに感謝していただけたり、気さくに話していただけたりしています。

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 でもせっかくキャリアコンサルタントの資格を取ったのに、どうやって生かせばいいんだろう・・と考えます。

 そこで、今年は引きこもりの方の居場所づくりのボランティアに関わることにしました。その中でキャリコンとしてお仕事関連情報を伝えたり、お話ししたりします。また、都内の某大学のキャリア教育授業のアシスタントボランティアもやらせていただいています。これから社会に出る学生さん達はとても真面目!就職についての心配事が尽きないようです。彼らの心配を少しでも無くせるよう、支援・助言したいと思います。今のところボランティアばかりでなかなか仕事としてはできてはいないのですが、今後はもう少し活動できたらいいな、と思っています。

 前回のブログで書きましたが、今足にケガをしてしまったこともあってスキマ仕事をしています。もともと副業やスキマ仕事にもとても興味があります。

 先日岸田総理大臣が「貯蓄から投資へ」と言いました。投資に回せる貯蓄があればいいですが、無ければ稼がなければなりません。私もイヤというほど経験していますが、高齢での就職はとても難しいです。でもこれまでの仕事をそのまま続けるのも体力的に結構大変です。ですから高齢の方こそ起業・副業を考えることをお勧めします。

 今後はキャリアコンサルタントとして、高齢の方や外に出て働くことが難しい方が起業・副業をして稼げるようなる為のご支援をしていこうと思っています。今後も私のヨタヨタ活動を見守ってください。宜しくお願いしま~す!

独立

 

キャリコンになったのは・・(2)子育てと仕事

(2)子育てと仕事 

 米国・ニューヨークに到着したのは雪ばかり降る寒い1月でした。時差があるので昼間についても息子はぐっすり寝ていて、寒いので着ぶくれしている息子を横に抱いて、雪に足を取られながらアッパーウェストのアパートまで行ったのを覚えています。

 米国では初めての子育てにかかりっきりでした。主人の帰宅は毎日遅く、赤ちゃんと二人きりの生活は辛く、カプセル育児で本当におかしくなりそうでした。その頃の日本の子育ては、母親が離乳食を手作りするのが当たり前という感覚でした。しかし米国にいると手作りしようにも使いやすい食材が無かったり、薄切り肉さえ手に入らないなど(厚切りがあるんですけどね)で、とても面くらいました。「手作りするものだ」という思い込みが強すぎて、手作りが難しい現状に結構とまどってしまったのです。米国では瓶詰めの離乳食を買って与えたりするのがごく当たり前でしたし、それでも良かったのに、日本は子育てに求めるものが多すぎたと思います。

 2年経って帰国し、ハローワークで仕事を探そうとしましたが「子供を連れてきてはダメ」と言われました。「子連れでは就職先は無い」ということでした。それで単発で預かってくれる保育所を見つけて、親離れできていない息子を預け、なんとか就職しましたが、息子が保育園に行くのを嫌がり、結局仕事を辞めてしまいました。

 そのうちに二人目を授かり出産しました。二人目は女の子。やっぱり男の子よりもどこか大人しいんですね。私も育児に慣れてきて、娘の10か月の頃には時間に余裕もできて、赤ちゃんがいるというのに「何か仕事ができないか?」と考えました。

 そこで国語力を活かして、学校の国語の授業中に生徒が書かせられる小論文を、在宅で添削をする仕事を得ました。1クラス分、40名程度の、800字や1200字などの小論文を赤ペンで直し、コメントを書くという仕事で、納期は2週間です。余裕があれば数クラス分担当することもできます。1名分が300円~400円。稼ぎはとても少ないです。子育てしながらの在宅の仕事は大変でした。昼間はほとんど子供の世話をしますので、たいていは夜になってから行いました。小論文を汚してはいけないので、テーブルは綺麗に片付けでから行いますが、子供が散らかした部屋を掃除するまでは手が回らず、家の中が荒れてしまっていました。寝不足で体調を崩したりもしましたが、それでも4年ほど続けられたのは、それしか仕事が無かったからです。

 下の子が幼稚園年中さんになったことを期に、外で働きたいと思いました。在宅の仕事が大変だったし、外で働く方が給与もよかったからです。平日は子供の送り迎えもありなかなか難しかったので、土日にパートに出ることにしました。信販会社での、クレジットカードを作った時の本人確認の電話をする仕事です。土日で勤務時間も長めなせいか、時給は少し高めでした。後半は平日にも少し入れてもらいながら、4年くらい続けました。

 しかし、電話をし続ける仕事で喉を傷め声が変になったこともあり、また子供達が少し大きくなって平日も働けるようになったので、近所の私立学校の施設管理の仕事に就きました。朝が早めな分、夕方4時過ぎまででしたので、その後子供と公園に行くこともできました。先生方のお茶やお弁当の手配をしたり、お掃除をする仕事。大変ではなく、それなりに楽しくやっていました。清掃関係の仕事は事務などに比べると給与はとても安いです。半分くらい。職員室によく出入りしていましたので、外国人の英語の先生と英語で話す機会もありました。そうしていると以前英語を使って働いていたことを思い出し、もう一度英語を使った仕事に就きたいと思うようになりました。そして子供もようやく手が離れてきたということもあり、以前勤めていたプラントエンジニアリング会社に派遣で再就職しました。

仲良し

 

キャリコンになったのは・・(1)初めての仕事

 2019年に国家資格キャリアコンサルタントを取りました。キャリアコンサルタントという資格の存在を知ったのは、娘の就職活動の頃です。

 女性が仕事を続けることがなかなか難しかった時代に、仕事が大好きだったのでライフイベントに合わせながら仕事を変えつつ働いてきました。「そのような経験がある私なら、弱い立場の人に寄り添って就労支援ができるかも」、「仕事は人を成長させてくれるものだし、楽しいことでもあるのに仕事に就けないでいる人があるのは残念。そのような方々の支援がしたい」と考えてこの資格を取りました。

 ではどのような仕事をしてきたのか?ということで、私のこれまでの仕事人生につい書いてみようと思います。長いので3回に分けますね。

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(1)初めての仕事 

初めて「仕事」をしたのは、大学生時代のアルバイトです。働くことが楽しくて、いろいろやってみました。単発の仕事で銀行や企業の書類整理や雑用、執筆者の原稿を出版社に運ぶ運び屋(書道の本で写真が多く重かった!)、ジェトロのイベントのキャンペーン・ガール、図書館の本の修理、一か月住み込んでのレタス農家の手伝い、半年続けた歯科助手・・。そうそう、家庭教師もやってみましたが、自分が得意な国語を、帰国子女の国語感覚無しな子に教えるのはとても難しかったです。でもとにかく、仕事をすること自体は好きになりました。特に農業仕事など身体を動かす仕事とか、人と接する仕事が案外好きです。仕事好きの素地はこの時期にできたと思います。

 大学4年になって就職について考える時期になりましたが、大学の就職相談窓口は資料が置いてある所という印象で、どのように利用すればいいかもよくわかりませんでした。親はその頃の一般的な考えで「女性はしばらく就職して、結婚相手を見つけて家に入るのが良い」としか考えず、自分もそんなものなのだろうと思っていました。

 大学の教授に受験するか打診された大手家電メーカーがありました。その頃はまだパソコンなど世の中に広まっていず、やっとワープロが普及し始めていました。国文科の中で国語学を専攻していたこともあり、初めて電子辞書を作るというような仕事でした。今考えればとても面白そうですから、もっと意欲的に立ち向かえばよかったのに、パソコンとかワープロとかに一日中向き合って仕事をするということがうまく想像できず「人と接することの方が向いてるかな」と自分では思っていたので、親が持ってきた就職先もあったので、その家電メーカーは断ってしまったのです。勿体なかった~!

 ということで、親と同じ業種の大手プラントエンジニアリング会社に就職。 女性は総合職にはなれず、「一般職」という名前で事務とか庶務をします。 庶務とはお茶くみとか、机拭きなども含まれます。 ただ、私の場合は配属先がたまたま、女性も男性と同じスペアーパーツのバイヤーの仕事をするという部署でした。 後から考えれば、給与単価の安い女性を戦力にして、将来的にその部署を独立採算制にするという会社の考えがあったのですが、当時の女性にとって事務や庶務以外の仕事ができるのは、待遇が不平等だったとしても有難いことでした。 世の中も、雇用機会均等法ができ、社会党委員長に土井さんがなるなど、女性を登用しようという風「マドンナ旋風」が吹いた時でもありました。

 仕事は貿易系の事務で、顧客は海外ばかり。 英語は得意なわけではありませんでしたが、海外から送られてくるTelexを読み、返信を書いては先輩にチェックしてもらい、というのを毎日行い、上司宛にかかってくる電話になんとか応答しているうちに、英語力も多少はアップしていきました。 そんな私を上司は面白がり、海外出張に行けるように取り計らってくださったのです。 女性が海外出張に一人で行くのは会社としても前代未聞の出来事。 会社中から何人も知らない方がやってきて心配してくださり「何かあったらここに連絡しろ」と助言してくださいました。

 出張といっても日々Fax(Telexの時代はすぐ終わり、Faxがメインになりました)でやりとりしている内容を話しに行くだけで、交渉する金額も小さな案件ばかりで、顧客もせっかく日本から若い女性が来たということでお情けで注文してくださるなど、今から思えばゆるすぎる出張ですが、なんとか一人海外出張を敢行し、 それから数年の間に10回くらい行かせてもらいました。 そのように私なりに仕事には立ち向かっていたので、仕事がとても面白く「続けたい、できれば総合職になりたい」と思ったりしていました。 その頃は他部署でも、女性社員の中には「総合職になりたい」と願う人が出てきていました。

 そんな中私は主人と結婚し、1年後には子供を授かりました。 子供ができてもなんとか仕事を続けようと決心していたのですが、生まれる1ヶ月前、ちょうど今の天皇と皇后のご成婚の頃です、主人から「米国に赴任することになったので、どうしても家族帯同で行ってほしい」と懇願されました。 仕事を続けられないのはとても悲しかったのですが、仕方なくそれまでのキャリアを継続することは諦めることにしました。

子育て

 

 

スキマ仕事をやってみた!

不覚にも足を骨折し、約1ヶ月入院しました。

足のケガですから歩けませんが、身体の他の部分はいたって元気。

暇なので、スマホでスキマ仕事を探すことにしました。

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ご存じの方も多いと思いますが「Crowd Works」とか「Lancers」などは、ほんの小さなスキマ仕事から、在宅でできる本格的な副業や本業まで、幅広く仕事を紹介しているサイトです。また、こちらから仕事してくれる人を探したり、依頼したりすることもできます。

いろいろな仕事があります。例えば簡単なものですと「ネットショップに掲載されている品物の写真や説明記事を見て、修正した方が良いと思うことをコメントする」とか、「アンケートに答える」など、1回で完結するような仕事もあります。ただし、勿論報

酬は非常に小さいです。10円、50円などという額です。

また、継続的に依頼される仕事もあります。子育て中の方などをターゲットにした、在宅でできる仕事も多いです。例えばネットショップに商品を掲載する仕事、注文や問い合わせに対応したり梱包・発送する仕事、Web記事を書くライターの仕事も多いですね。

自分の子育て時代にもこのようなものがあったら働きやすかっただろうし、面白かったかもしれないナ。

一般で働くよりも報酬は安いことが多いですが、在宅でできる、経験になるなど、メリットもあると思います。継続していくうちに自分の力量で仕事が増えて報酬が多くなっていくようなものも中にはあります。

反対に起業した人などにとっては、希望する能力をもっているパートナーを得ることができます。

 

私は入院中に2つ、継続できる仕事を見つけました。コツコツ作業で報酬はとても少ないです。でも退院してもさらに1ヶ月ほど歩けませんので、暇を持て余すことなく、座ってできる事があるのは精神的に良かったと思います。

これまで自分は割と身体を動かしたり、人と接する仕事が合ってると思っていましたが、在宅ワークをしてみてその良さもよく分かりました。なにせ気持ちが楽。通勤が無いからお天気が気にならない。合間、合間に家事もできる、宅急便も受け取れる。案外楽しいじゃないですか!

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人生100年時代と言われます。高齢でも仕事がしたい、イヤ、やらなくちゃという状

況もあると思います。そのような中、在宅ワークは高齢の人にとっても良い選択肢でしょう。

一般の求人では50代後半なんてお呼びではないことばかりです。でも、こんなスキマ仕事のサイトでの募集でも、採用側が応募者を年齢で判断することがある、と感じました。募集する内容が「子育てママのブログ記事を書く」など、あきらかにその年代でなければダメという仕事は仕方ないと思いますが、誰がやってもいいのでは?と思うような仕事でも年齢や性別を聞かれることもあります。ツールの操作に不安があるのかもしれませんが、それは人によりますよね。

私は、年齢・性別にかかわらず、働き方を変える、新しいことに挑戦するという事をしやすい社会になって欲しいと願っています。

 

 

 

 

 

副業あれこれ (2)ネット古本屋

 昨年より、楽譜と音楽本専門のネット古本屋をやっています♪♪

大したものではなく、フリマアプリ「メルカリ」を使った簡単なショップです。

今回はこの古本ネットショップを始めるために必要なことを書きます。

 

♪. まず初めに、ネットショップのHPを作ろう

 中古品を売買する商売を始めるには、「古物商許可証」を取らなくてはなりません。そしてこれは営業する場所の管轄の警察署へ申請します。ネットでの販売のみなら、自宅のある地域の警察署です。

 その警察への提出書類の中に、HPのURLを書く紙があります。1マスに1字ずつURLのアルファベットを書いていき、ローマ字の読みをカタカナで書かなくてはなりません。

 そのため、まずはHPを作る必要があります。でも警察に提出する為だけなので、何も立派なHPを作る必要はありません。HPを無料で作れるサイトもありますから、そのようなものを利用して作った簡単なものでも構いません。警察はHPを見て、店の管理者が誰かを特定したいだけなのです。

 私は最初、テレビでもよく宣伝しているBASEで、割としっかりしたHP を作りました。そのHPでも買い物ができるようなものです。でも、これまでHPを作るだけならBASEは無料だったのですが、この3月から有料になったので解約しました。そしてメルカリShopで無料のHPを作ることができるようになったので、そちらに簡単なページを作っています。

 HPを作ったら、サイト運営会社から、HPのURLの使用許可をもらってください。メールで送ってくれたり、HPを作ったら自動的に送ってくる場合もあります。HPを変更した場合にも、必ず警察に変更届を出さなければいけません。

 

♪♪.古物を扱うなら「古物商許可証」を取ろう

 「フリマアプリって、使用品などを売るんだよね?別に許可証なんていらないんじゃない?」と思う方もあるかもしれません。自分のいらなくなった物を売る場合には勿論必要ありません。

 でも、古物を仕入れて売る場合には必要になります。それは古物には盗品があるかもしれないからです。盗品の売買の流れを把握するために、警察は古物商に品物の流れを記録させるのです。

 申請に必要な書類は警察署のHPからダウンロードできますが、申請書や誓約書、そしてネットショップのURLを書く紙です。この時に、HPのサイト運営会社から送ってきたURL使用許可のメールを印刷したものも添付します。提出先は警察署の「生活安全課」です。申請料金が19,000円かかります。そして問題が無ければ、提出してから1ヶ月後くらいに警察から許可された旨の電話があります。開業の日を決めているのであれば、計画的に申請しましょう。

 

♪♪♪.古物商許可証プレートを作ろう

 警察から古物商の許可が出たら、「古物商許可証プレート」というものを作らなければなりません。扱う古物を表示したプレートで、ネットでの作ることができます。1枚2,000円前後だと思います。これを家の玄関扉の外側など、外からみてすぐにわかる場所に付けなければなりません。プレートはマグネットになっているものや、テープでつけるものなどがありますので、ご自分で良いと思うものを選んで購入してください。そして、警察はこれがきちんと家の外に掲載されているかを抜き打ちでチェックしに来ます。なので、古物商許可証が発行されたらすぐにプレートを作るようにしましょう。ネットで購入した場合、2週間くらいで入手できると思います。警察は1ヶ月くらいの余裕を取ってからチェックしに来るようです。

 

♪♪♪♪.売買の管理

 お店を始めたら、年度末の確定申告が必要ですから、入出金を管理する必要がありますよね。会計ソフトもいろいろ出ています。お試しができたりしますので、ネットで検索して試してみると良いでしょう。

 そして、古物を扱う場合は「明細書」を作成する必要があります。「明細書」とは、

盗品の売買があった場合に備えて、次の項目を記録するものです。

①取引の年月日

②古物の品目および数量

③古物の特徴

④相手方の住所、職業、氏名及び年齢

⑤相手方の身元確認をおこなった方法

え~⁈ こんな個人情報を聞いて記録するの?ってこのご時世に、びっくりですよね。

でも現在の法律ではこのように決まっています。記録して印刷しておかなくてはいけないのです。たまに、警察の生活安全課の人が抜き打ちでチェックしに来ます。

 ただし、免除になる場合があります。下の品目以外の物で、1万円未満の取引きの場合は免除です。

免除にならない品目

自動二輪車原動機付自転車およびそれらの部分品

 (ネジやボルトなどの汎用性の部分品は除く)

・家庭用ゲームソフト

・光学的方法により音または映像を記録したもの(CD、DVDなど)

・書籍

 という訳で、残念ながら古本屋は明細書作成が義務付けられています・・・。個人情報を聞くことが難しい時代なので、私はもう諦めて、古物商許可を取っている古本店からのみ購入することにしています。そうすれば古物商許可証番号を控えておけばよいからです。古物商許可証番号はその店のHPに大抵載っています。ヤフオクでも、個人ではなく古本屋が出品していることも多いので、そのようなものを選んだりします。

 

 これまでの人生、なぜか音楽をやる機会が多く、家に楽譜が結構あったので始めました。送付時にあまり梱包に悩む必要もなく、簡単でいいナァと思ったものの、明細書作成など意外とハードルが高かった!

 でもなんとかかんとか、やっています。音楽が好きだし、楽譜を見るのも好きだし、売り買いしたり、送ったりの仕事も好きで、楽しんでやっています♪ 

 古本屋をやるなら、何かお好きなジャンルを決めてなさるのがいいと思いますョ。

副業は楽しんでやることがコツです!

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副業あれこれ  (1)ライター

副業をいくつかやってます。
やってみて感じた事や、わかったことなどを書いてみます。

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ひょんなことから、ライターの仕事をゲット。火をつけるのではなく、文章を書くお仕事。

と書いてみて、ドアーズの「Light my Fire」という曲が思い浮かんだよ(古い!)。

邦題は「ハートに火をつけて」。ハートに火を付けるような文章を書いてみたいです......(ひとりごと)

そのライターの仕事は、社員のモチベーションアップの為に社内報に一人一人社員を取り上げ、人となりやお仕事内容、やってきたこと、会社や仕事への想いなどをドキュメンタリー風に書くというもの。

働く人、一人一人に焦点を当てた「プロジェクトX」です。

キャリコン としてもやりがいのあるお仕事で、文章の推敲も楽しいので、

私自身も奮起して取り組んでいます。

そう。働く人にはドラマがあるはずです。
最近書かせていただいた方は、ご自身では今の仕事にあまり意味を見出せなかったり、どうして自分がこの仕事をやらなければいけないのかわからなかったりしているようでしたが、ハタから見ると、まさに適任だったり、十分に能力が発揮されていたり、会社に大きな貢献をしている方でした。

それを書きだすことで、ご本人の気づきがあったり、モチベーションに繋がったり、社内でのコミュニケーションに役立ったりすることに役立つ部分があるのではないでしょうか
そして上司は部下にこの仕事を頼む理由を伝え、その貢献をきちんと評価することが大切なんだと改めて思いました。

ところでライターという仕事は、単に文章を書けばいいという訳ではなく、記事を書くにあたって取材したり、資料を読んだり、音声資料を聞いたり、体験したり、写真を撮ったり、書くことに付随して行うことが求められます。
それには案外時間がかかるし、文章を作って推敲するのも結構時間がかかりますが、私が請け負っているような、特に経験が必要無く、文字数1500〜2000字くらいの記事だと2000円くらいというのが割と一般的のような感触です。
本業は別にありますので沢山は請け負えないし、1本書くのに数日かかりますから、時給で働くのに比べると全然稼げません。

好きでないとできませんね。